このブログの更新通知を受け取る場合はここをクリック
2018年 02月 28日
一隻六扇(六曲)屏風の制作を 常にずっと、どこかに抱えながら、他にもいくつかの大切な制作依頼の合間の 自分を調...
2018年 02月 18日
一隻六扇(六曲)物語紙を探しに。何故、六曲(屏風)なのか、という問題提示を自己に課し、(フラットな平面ではない構図...
2018年 02月 14日
ひいやりとする冬の硯きっと美しい色を作ります 海も陸もないこの硯の石は 削らない方がいい、と思われたので...
2018年 02月 07日
普遍は、時を渡る。作品はもう作者を離れていて、独り歩きをしています。作品に出逢うとき自他を問わず本当のところは、作...
生きている墨の美しさ、生かされていることの有難さ。表現者としての記録
奈良漆工芸 螺鈿装身具 おもう仔細あって 奈良漆...
若き頃の聖観音立像菩薩制作を訪ねる旅にて 親不孝を重ねた私が、時を...
祈の上映会 回想10分 2020年 8月2日...
章子のこと 逝ってしまった章子のこと...
もの買ってくる、自分買ってくる 「物買ってくる、自分買っ...
瓦の寄進とおみくじと 毎年東大寺大仏殿での瓦...
法雨 白隠禅師座禅和讃に 「衆...
老師と桃蹊の名について 高村光太郎 「桃」(個人...