書 鹿踊り
2021年 06月 27日
中国では書法、日本では書道、韓国では書芸。どれも
「墨」で「文字」を書くことです。
書における「法」という美の法則は、身につけるべきやと思っています。古典を学ぶのが大切なことです。
「法則」は説明が可能です。
教える場合に大変役立ちます。
ロジカルつまり、論理的なとは、結果等を証明する思考の形式や法則。
筋が通っている考え、とも言いますが、多くの人に伝える場合重要なことです。
ビジネスにおいてはロジカルな説明は絶対に必要です。しかし、ロジカル的な話し方は理屈っぽいと感じられ、嫌う人が多いことも一方にあるでしょう
特に、芸術面に触れていくと説明が難しく、
説明できないところに本質がある、ともいえる自己表現をどう伝えたらいいのか、難しいです。
できる方はわかりやすくロジカルに話すこともできるのでしょうが、わたしにはできそうもありません。
何度か試みてきた宮澤賢治の詩「鹿踊りの五行」
彼の言葉を借り、文字を借りて
なおかつ自己表現する、ということは
創作ではなく自己満足の極みなのかもしれません。
母の郷岩手、花巻祭りの興奮からから地元土沢の「鹿踊り」の深く刻まれた音と匂いと風景と言の葉を
書にしました。
出来るだけ、「私」の想いではなく、「賢治」の心に近づきたいとおもって描きました。自分を極力無くそうとおもっても、そこには、私が図々しく居るわけです。個性でしょうか?悪癖でしょうか?
こういったことは論理的に私には説明できません。
高原 宮澤賢治
海だべがど おら おもたれば
やつぱり光る山だたぢやい
ホウ
髪毛 風吹けば
鹿踊りだぢやい