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草木言問う


 制作する場が奈良であることの有り難さを、
 この頃
 よく感じるようになりました。
草木言問う_f0389753_16351555.jpeg

霊感のような特別な能力を持たない私でも
ここでは
草木言葉問う ような
自然に
触発される暮らしがあります。

旅も いいけれど
じっくり深めるのに
この場所は 私にとってとてもよかったと 感じるのです。

私は 
40年以上奈良に暮らしたものの
8年ほど前から再開した書の制作において
自作に対して
「創作」と言う言葉を使わなくなりました。

そもそも「書」は、
文字を借り、言葉を借りて表現します。
抽象の墨表現に於いても、同様に
自然から感じる 見えない何かであったり、
心動かす音楽であったり
しますから 私が生み出したものなど
何一つないのです。

今頃になって です。

 宮沢賢治の言葉をお借りするとよくわかります。

「詩人が詩として表現するのは、
心の中にあるイメージや言語ではなく、
世界全体に発動している力動、エネルギー、ダイナミズム。
そういうものを受け止めて、自分が変換機になって表現する。
だから私は自分で創作したとは言えない。
自分はこの自然界にあるものを受け取っただけなんだ。
そういうふうに聞こえるものを、ただその通りに書いたまでだ」
と。
草木言問う_f0389753_16353455.jpeg
        何と云はれても
         わたしはひかる水玉
          つめたい雫
           すきとほった雨つぶを
            枝いっぱいにみてた
             若い山ぐみの木なのである

                「何と云はれても」
                    宮澤賢治


 奈良の場はそういった、
賢治の言うところの変換器に感度を高めるのに適しています。
いや、奈良でなくても良いのですが、
ご縁あっての奈良に
意味はあるのでしょうね、きっと。
私にとっては、この場が何もかも有り難くおもえる
この頃です。
草木言問う_f0389753_15125096.jpeg

by sumiasobihito | 2021-06-12 16:41

生きている墨の美しさ、生かされていることの有難さ。表現者としての記録


by sumiasobihito桃蹊
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