299枚目の領収書
2020年 07月 24日
2014年の個展から、二十数年ぶり作家の仕事を再開してからは数少ない売る、売れる作品。奈良に来てからは自分で自分を評価して価格を決めなくてはならなくて、ざっくり表具代の2、3倍でなんとかなるかな?程度。も時折自信なく崩れる。
生業という、言葉を意識しないことはなかったけれど、奈良に逃げるように住み着いてからはこれで食べていけるわけでもなく、かつて東京であくせく食べるために描いていた時と違って、教室で教えていた時と違って切羽詰まったものも他にできまして、書については、少し遠いものになっていました。有難いことに欲しいと望んでくださる御危篤な方があり、応じて喜びを感じていました。
ただ「先生」と呼ばれるような教える仕事は
わたしにはできないなあ、と
わたしにはできないなあ、と
奈良に来てからいくつかの教室を生業として過ごして
そこから離れてみて感じつつ
そこから離れてみて感じつつ
そう
おもって始めた墨あそびは、固形の墨を磨って欲しい、ただそのおもいだけから始まりました。
なぜなら磨った墨は無限大の面白さ、にもかかわらず、書家という方でも墨を磨らなくなったと聞いたから。
なぜなら磨った墨は無限大の面白さ、にもかかわらず、書家という方でも墨を磨らなくなったと聞いたから。
誰にでもできることを、誰にもできないほど掘り下げる、2009年からの私の、個人的な自己救済、自分探しに299もの方が対価を支払ってくださったこと本当にありがたいことです。
かつて円覚寺の大進老師は布教やと言って、書の数々を欲しい人に欲しいだけくださいました。
欲張りな私などは、いいなあ、と思う禅語を円覚寺に伺うたびに2、3枚(少しは遠慮して)いただくと
「そんなに持っていくと表具代が嵩むやないか?」と心配されました。
書とは、
私の書との在り方は?
作家としての生業とは?
作家としての生業とは?
繰り返し繰り返しいつも思います。
『書は萬人の芸術である』井上有一
『書を究めるということは造形意識を養うことであり、この世の造形美に眼を開くことである』高村光太郎
『書は萬人の芸術である』井上有一
『書を究めるということは造形意識を養うことであり、この世の造形美に眼を開くことである』高村光太郎
by sumiasobihito
| 2020-07-24 21:01