章子のこと
2020年 02月 14日
逝ってしまった章子のこと。
章子の大胆でおおらかな書が好きでした。章子の電線音頭が好きでした。
章子の寡黙なひたむきな姿が好きでした。
章子は、大半の者が書の先生になる中、わたしも含めて先生にならなかった一人です。
章子も私も、
おそらく書家という者ではないのです。
書家を目指した20代のわたしと異なり、章子は書とは異なる表現の場を模索していました。
書家を目指していたわたしですが、しばらくあって筆持つ再出発から6年経った今、
「書家の、書道家の、桃蹊」と、紹介されると、
やや気恥ずかしいといいますか、つい
「ああ、いえ。」と小さく声が漏れて尻込みしたくなります。
肩書きがどうしても必要な場合もありますから、わかりやすく
「書家」とすることもありますが。
章子は、やはり書家ではなかったと思うのです。
卒業してからの幾度かのグループ展で会って、
のちに御茶ノ水の喫茶店で
「一級建築士を目指してるんだ」という章子に
目を見張った会話から、それから実は会うことはありませんでしたが、年賀状には必ず、「今年は会いたいねえ」で締めくくられていました。
対世間を意識したちっぽけな悔しさや引け目から背伸びして見せていたわたしと違って、章子はいつも地に足をつけていました。
彼女の書は評価されるべきやと、ずっと思っています。一瞬脚光をあびるものが多くありますが、それとは異なり 深く突き詰めた線と空間がありました。何より彼女の哲学がありました。
全国大学書道連盟合宿
書の評価を章子は望んでいなかったかもしれないけど・・・その小さな世界にいなかったから。
大学の頃は、それぞれ書家を目指すものが多い中、彼女もその一人でありました。
生意気盛りの学生時代、教官に意見物申すことは、当たり前でした。よく戦いました。
高校の頃から、芸術を意識していた同級生に圧倒されていたわたしです。
章子もまた高校の頃から芸術を意識した彼女の感性と表現力、寡黙やけれど剽軽な仕草、好きでした。
「なおみ君」って呼んでくれたこと、などをスライド写真のようなワンショット、ワンショットは、今もすぐに引き出しから飛び出します。
評価されるべき人が逝ってしまいます。
いい人は先に逝く、というのは、ほんまのような気がします。
でも、きっと
残されたものに、やるべきなにかがあるのかもしれないとも感じるのです。
生きて、生かされている意味を改めて感じながら、
磨墨に章子のことが浮かんで、記しておきたいとおもいました。
不思議な出逢いがあるものや、と。
「章子!
不思議やなあ、実際には出逢っていない大学の教授、しかも高校の書道の先生の恩師のお孫さんとわたしは今繋がり同じ舞台で共演しているよ。
不思議やろ?。だから、
わたしは、命いただける限り描いていきたいとおもっているのよ、章子。
もう、いつでも繋がるね。もう繋がっているね、あの世もこの世もない一元的な世界での繋り、楽しみやわ!」
わたしは表現し続けるよ、章子、またね。 Photo 国東薫