数字
2020年 01月 20日
数字。数字って人に影響与えすぎや
いや、
人が数字にとらわれなければいいわけやけど。
体の検査すれば数字。
よくわからない人の体の数字の上がり下がりに気を病んでいた頃があった。
命の時間がないことを告げられたのも、時間という数字。その数字が正しかったか?どうか今でもわからない。
もう、その数字はどうでもいいやないかなと暗黙の了解のまま二人で思って、出来るだけ笑って過ごして逝ってしまってから11年目。
私は病院には、風邪でよほど動けなくなった時以外は行くことがない。
子らには悪いなと思いながらも、いつでもお迎えが来てもいい、来て欲しいと思っていた時から、
今はというと自分の体に気をつけようと思うようになった。
気づけば、やらねばならないことと、やりたいことが、ともに生きていた時よりも圧力は大きくなったけれど、少しづつできるようになったからかもしれない。
もう少し生きてみたい。
とはいうものの、こればかりは何が起こるかわからないとずっと感じてきたので、明日母さんが生きているとは思うなよ、と言い続けている。
義姉などは病を抱えていたから体の数字、病を負っての老後の金銭的な数字に気をつけていたのに、あっけなく昨年突然逝ってしまった。
1時間前まで喫茶店でコーヒー飲んでいたのに。
体の調子の良し悪しは数字では表しきれないように、
数字は指針として、その数字の意味を深く感じる感覚を澄ましていく生活が大事なんやないかなあ、と思って暮らしている。
生きていく中での日常は、経済や政治や世論も数字がまず示されるけれど、ほんと?ほんまに?と疑ってしまう。
数字では表しきれない。
そんな時におもいだすのは、
「前三三後三三」
無著問文殊。此間如何住持。殊云。凡聖同居龍蛇混雜。著云。多少衆。殊云。前三後三三
碧巌録公案
無著文喜という人が、文殊さんの霊場と言われる五台山にお参りにでかけた時、文殊さんが無著さんに質問しました。
「あなたはどこから来たのか?」
無著さんは「南からです」と。
文殊さんは、
「南の方では仏法をどのように保たれているか?」と、
無著さんは
「末法の僧侶ですから、でたらめですよ。戒律を守っているのはわずかですよ」と答えます。
文殊さんは、尚、尋ねます。
「そうやって仏法を信仰している人はどのくらいおるのか?」
無著さんは答えました。
「三百人から五百人でしょうか」。
今度は、無著さんが文殊さんに質問しました。
「では、こちらでは仏法はどのように行われていますか?」
文殊さんが応えました。
「玉石混合で、凡人も聖人もごちゃまぜで、龍も蛇もいっしょくたになっているぞ」
続けて、無著さんが質問しました。
「どのくらいおられますか?」
そこで、文殊さんは答えました。
「前三三、後三三」と答えました。
「前三三、後三三」とは、数限りなく、無限で計り知れない、数字では表せない、ということなのだ。