嘘と誤解
2019年 11月 14日
嘘と誤解について
最近感じたことなど
嘘とは、真実でないこと。
人ををだますために言う、事実とは異なる言葉、偽りとも言うけれど。
今私が記したい「嘘」は、辞書にあるものでは収まらない。
それは誰にでも常にあることかもしれない。
「嘘も方便・・・」ああ、たしかに優しさの密やかな表れかもしれないな。
大概の嘘は、自分の保身にある。
嘘をついてしまった人は、お気の毒やなあ、と 私はおもってしまう。
その場しのぎはいづれ自分に返ってくるから。
場合によっては、方便?など通じない。
余計にこじれることもあったりする。
ここでの嘘については、詐欺師の話や認知症の人とは異なる訳で、
最初から騙そうとしている人の話ではないのだから。ただ認知症の人の場合は、すぐに忘れて事実と異なってしまうことが多いけれど、妄想も混ざってしまうからこれは、厄介です。
さて、「嘘つき!」と、嘘をつかれたと、そう知った本人が気づくのは当たり前やけれど、
後なわけです。
会話を交わしているときにはその方を信じているからね。
後に、かの人になんらかの感情がわいて、(語ったことは、個人的な感情で その保身の理由で捻じ曲げられる。)最初と異なる展開になってしまうのではなかろうか?今度は誤解の展開となりうるわけで、本人に直接聞くのが一番いいけれど、なかなか そうもいかないですね。
そこは結構どちらも曖昧、自分よがりやね。
いろんな言い訳もあるやろうね。
もちろん、そんな話は本人からではなく、大概他人から聞くから、驚き、悲しく腹立たしいのだ。(まあ、本人は、こんな事情でつい言ってしもた、と打ち明けられれば、なんていうことはないことなのだけれど、言わないよね。)
誰かに発した言葉が巡り巡って偽って伝わって来た時、そしてそれが事実ではない時、
それは嘘や、と感じる時、
その言葉を耳にする当事者の気持ちも考えてほしいものやとおもうけど、
知られることはないやろうと誰かに言ってしまったご本人にも意図する含みもあったりするから、難儀やなあ。悲しいわあ。
知られないやろう、とおもっていても、伝わってしまうものなのだよ、不思議と。
本人から聞くことは稀で、大概他人から耳にする驚きの方が、辛い。
そんな些細なことに振り回されたこともあり、今もある。
でも、
その事実と異なる発せられた言葉は
本当は、嘘ではないこともある。、例えば、意図しなかったにもかかわらず、思いと異なったしまった場合。目の前で語った言葉は、本当やと、嘘ではないと、思っているから。
だからね、ここ大事やと思うんやけど
私は
自分の目と耳で観て聴いたことしか信じないようにしよう、っと
ある時から決めていて
そうやって
自分の心を保っているの。本人から聴いたこと、自分の目で観たことを、尊重して事大切にしています。(ただし認知症の人との関わりの場合は、目の前で見て聞いてもどんどん変るので、腹を立てても仕方がないよねえ・・)