生と死と 名前を描くことに
2019年 10月 21日
私は昭和に生まれ、今思えば高度成長という時代に多くを学び、描くことで食べて行く路を選んだ20代。
それから二度の結婚、子を成し、身近な大切な人たちが逝き、今も描き続けています。そうすることで自分を保ってきました。
時代は急速に変化し、「子ども食堂」に携わる方とも出会い、食べることすらままならない時代に、腹の足しにはならないことを続けています。
かつて河井寛次郎は「すべてのものは自分の表現」であると言ったように、人として生きる暮らしの中で、何を食べるか?何を着るか?どこに、住むか?何を捨て、何を求めるか?
何を信じるか?
今、こんなにも多くの情報の中で・・・
すべて、私 に あります。
二日前のことです。
玄関に白髪の女性が立っていました。
彼女は15年ほど前からご縁のある方にもかかわらず、彼女と認識できないほどの悲しい姿で立っていました。
大切な息子さんを、犯罪に巻き込まれて亡くされたと、聴き
言葉を失いました。
ただただ、聴き続けました。
息子さんは表現することで人の力になりたいと就職した先で犯罪に巻き込まれました。
幼い頃からおじいさまと奈良にいらした、
幼いながら印象に残る利発な姿が思い出されました。結婚を約束した方もいらっしゃる、と。
彼の表現を奪った、犯人を私は許せないと、思いましたが、お母様はまだ犯人を憎むどころか、ご自身を責め後悔するばかりの闇の底にいらっしゃる。
犯罪被害者は人に話せないことがある、という事情も初めて知りました。
話すことで救われてきたように感じる私にとっては、話せない、ということが彼女にとってどれ程辛いだろうか?と・・・仕事も辞められました、働けなくなりました。(働くことで動かされる、生かされる、私はそうでしたが、彼女はただ息子さんとのおもいのなかの日々。)
仏様の教えに、人の話を聴く、というのも修行の一つであるという老師の言葉をおもいだしていました。ただただ聴き続けました、かつて私が多くの方にしていただいたように。
心から、お気の毒と、ともに泣くしかできないけれど、
思い出、思いを聴く、
想いを 吐き出してほしいと それだけの時間が過ぎました。
そのお母様から書の依頼。
有難いことでした。
有難いことでした。そして、今日は生後4ヶ月のお子様を見せに来てくださった方から、名前を描いてほしい、との依頼。
生と死と
二つのお名前を描かせていただきます。