距離
2019年 10月 16日
距離をおく
ぶつかり合って理解し合えることも稀にありはするけれど、
いつからか臆病になったわたしは、危ういと感じるときに
距離をおくようになった。
若い頃の恋愛
連れ合いとの出会い
親兄弟、家族、三人の子ら
友
切ろうにも切れない縁を大切に慈しみたいとおもうとき、
いつしか、少しだけ距離をおくようになっていた。
決定的に失いたくないからかもしれない。
甚だ自己中心的ではあるけれど、適切な距離感は冷静さをもたらしてくれて、
例えば、
距離(時間)をおくと、
丸めて捨てたい反故でさへ 見つめ直すことができるのは、間違いない。
そこから生まれた、お気に入りの作品も実は、いくつかある。
望まれるところに、いった。捨てずに良かった。
過程などは、作品を手にする人にとっては、どうでもいいこと。
距離とは、時間も含んでいて
パンクしそうに矢も盾もたまらない狂った情熱の時から
時間という距離をおくと、
異なる判断も生まれて
新しいものが観えてきたりする。
しかし、結婚は
狂ったくらいでないと
できないかもしれない。
なんの保証も確証もないのに
「スペインで屋台をひかない? 一緒に」なんて、
「うん」
即答で
一緒になって、家族が増えた。
そして、かけがえのない人たちを、死という別れを持って失いながら、
まだ
わたしは
スペインに行く機会を失ったまま。
結婚に距離をおいては、結婚に至らないのかもしれない。
一冊の本だけが手元に今も
あるだけ。