あるべきようわ
2019年 10月 10日
月が美しと見上げるときに想い出すこと。
明恵は、「阿留辺畿夜宇和(あるべきようは)」を座右の銘にしていたといわれている。「栂尾明恵上人遺訓」には、
『人は阿留辺畿夜宇和(あるべきようは)の七文字を持つべきなり。僧は僧のあるべきよう、俗は俗のあるべきようなり。乃至 帝王は帝王のあるべきよう、臣下は臣下のあるべきようなり。このあるべきようを背くゆえに一切悪しきなり。』と。
あるべきようは何なのか?という 問いかけ。
そこにあるべくようにして ある 姿は 美しい
自然がまさにそれで、
どこを切り取っても
ただそこにある、という存在感
森にあって根をはる樹、流れる水の中の一つの石、広い空に登る月、年年歳歳の花 波に形を変える沙浜 刻々と移ろう雲 煌めく太陽
うたかた
私にとって自然はすべてのお手本で、手本に向き合う時尽きることがないしあわせと、表現できない苦悩。
一ミリも揺るぎなくあるべきところに、あるべき線と空間で心象の風景を描きたい。
いつ観ても、新しい
見飽きることなく語りかけてくれるもの
今日も月が美しい。
『あかあかやあかあかあかやあかあかや
あかあかあかやあかあかや月』明恵
なんとまあ、えらいところに足を踏み込んでしまったのかと、
進めば進むほど、深く深く・・・
迷い道