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Liveと書について

近年音楽Live の場で、魅力ある幾人かの方々と共演させていただいてきました。

数年前のわたしには考えられなかった事です。

私は「書は、Live といった人前で見せるものではないし、誰かと一緒にするものではない。」というおもいがずっとありました。

そんなわたしがLive をやってみたい、やろうと決めた時に自分に課した事が二つあります。

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一つは、描く作品は、必ず残せる作品にする事

そのためには、作品として意味のない墨の流れや飛沫をやりすぎないように計算せねばならないと考え、紙を選び、墨をする際の濃度と異なるいくつかの墨を使って変化をつけたいと考えました。


またもう一つは、共演者の音霊を視覚にかえて墨色で伝える、つまり主体は共演者にあって、わたしは共演者(音楽家との共演の際)の刹那に消える音霊言霊を、視覚的な文字と墨色で伝えること。

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書は、その性質上わかりやすく見る人がすぐに理解できるのが大切ですから美しく整った字を書きたいという方が多いわけですが、自分を表現する手段の一つと考える場合は、自分のありよう、生き様をどう描くかが問題で自分探しをしているような気がします。

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来る年もまた、音楽家との共演のご縁をいただいて、ライブの予定がいくつか決まりつつあります。

その一つ一つにいつもイメージとなるメッセージをいただき作品の設計図を作ります。
共有するメッセージは、私にとって共演(コラボ)する場合に重要なわけです。
同じテーマで一つの世界を共に描きたいと考えるからです。そこには少し通常と異なる限られた短い時間の中での仕掛けも必要なわけですが、それを考えるのも密かな楽しみであったりします。

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Live では、あらかじめ準備段取りを念入りに練ったうえで、始まれば準備したものを忘れて、迷わずに共演者と一体となるよう自分を解放してきましたが、
さらに言えば、なんの準備がなくても、研ぎ澄まして感じると、
投げかけられたものを投げ返せるような柔軟なやり取りが生まれ、とても興味深いと感じています。

一回一回演奏や、舞台が異なるように、書もまたやり直しのきかない一つ一つの線で描き伝えます。



刹那に消えゆく時の中で、目に見えないキャッチボールが出来る面白さを、心に響く音楽や、狂言などから感じます。

Live で描く時、雰囲気だけに終始せず、自分が納得いく残せる作品にしようと思えば、難しいわけです。

自分が持っていないものは、偶然には出てこないのです。
深く執拗に求めて身につけたものだけしか出てくるわけはなく

自分の持っているだけのものでしか、相手とキャッチボールする事は出来ないと気づくわけですが、稀に自分自身でも気づかなかった思いもよらないものが引き出され、飛び出すこともあって、驚いてしまいます。それも自分のどこかに隠れていたものかもしれません。

研ぎ澄まされた感覚の中にいる時だけ私も知らない私に出逢う、その準備は日頃からしておきたいと思います。

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準備とは、臨書であったり、文字や詩文の内容であったり、書に限らず「美」に触れて、人の情けに触れる事です。奈良という環境は本当に私にとって有難い場所です。
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新しい自分に出逢いたい、そう願う師走半ば。





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by sumiasobihito | 2018-12-12 01:56 | Trackback | Comments(0)

生きている墨の美しさ、生かされていることの有難さ。表現者としての記録


by sumiasobihito桃蹊
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