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「時間」をめぐり意図と意識と

作品が生まれるまでの時間と意図と意識と無意識について

11月8日、私は約束の時間は曖昧なまま、大阪美術館二科展の会場に、いました。
ここ数年拝見してきた橋本和明さんの彫刻にまた相対するためでした。
近年私はライブで共演者と描く、という瞬時に対応してキャッチボールするような即興で描くことに興味を持っています。
書はワンストロークで描く性質上、やり直しがきかない(常にライブ)な訳です。彫刻のように、時間を重ねていく制作過程とは異なるように感じられるわけですが、果たしてどうでしょう?時の単位を一元的に観るとそう、異なることでは無いように想い、なぜか橋本さんとは作品作りの、また作家としての根源的な部分で、興味深くお話をしてきたように思います。

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今回のご案内にはこう書かれてありました。
『・・・時の流れに追いつけない日々、ひとつの作品が生まれるまでの「時間」について考えていました。時を超えて、作家は作品が生まれるまでに宿す必然的な時間を真摯に生きなければ、決してそのものにはならないと改めて気づいた夏の制作でした。さまざまな想いの交叉した作品「Kanon-光陰」に逢いに・・・。ご高覧いただければ幸いです。 」
と。

時間の単位の長い短いはありますが、一つの作品が生み出されるまでの物語にも似た、表には見えない根っこの部分の深さは、そのまま作品の深さに繋がると感じ、私などは日々、もがきおるわけですが、一旦筆を持ち下ろすまでの時間は本当に面白くてそれは言葉では表しきれません。
作品が生まれるまでの「時」は作家だけのものであり、誰も理解することはできません。説明すら難しいことです。
作品は作家の手を離れた時から、一人歩きをします。その一人歩きしている橋本さんの作品の物語を勝手に想像しつつ、私自身の制作に重ねます。
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今回の橋本さんの作品でまずおもったのは、「手」でした。
右手と左手とは明らかに意図されたと思えるような異なるものでした。
私は記憶にある「右手は仏、左手は衆生」を想像して左の手の不思議な違和感は、そんな衆生か?今回のサブタイトルの「光と陰」のその対比なのか?と想像したり
また、
足元に目を下ろせば、左足が右足よりも一歩を歩み出そうとするように指を浮かせていました。
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意図したものなのか否か?
意図つまり、心の中に思い浮かべる考えや思いが橋本さんにあったか否かは、想像はできません。それは今回のKanonに羽が無いことも含めて。
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意図は意図した時には完了しているわけですから意識とは異なるものと思いますが、では意識はどうでしょう?
私は無意識という意識が時に心を震わせ描かずにはいられない想いを駆り立てます。その時、描いていないにもかかわらず、すでに、見えない何かと交信をして描いているわけです。形にならなくても、私自身の中では、確かにあったわけです。
作品が生まれるまでの「時間」。それは作家だけのものですから、どれほど突き詰めて真摯に求めていくか、言い訳をして適当にするかは作家自身が決めねばなりません。

ライブという、短時間の即興的なものは、さらに際立つのが自分の力量です。真摯に突き詰めることは集中力とも言えますが、もともと無いものを何かの偶然に頼っても、そこが知れているわけです。それは見るに耐えないものになります。一ヶ月かけて描いた作品と30分で描いた作品とは私の中では同じなのです。何故ならその瞬間に至るまでに使ってきた時間は大して変わらないからです。(大げさにいえば私自身が生きてきた時間とも言えるかもしれません。、)

さて、今回のことに話を戻しますと 一体どれほどの時間作品である自分自身と向き合ってこられたのだろうか?
そんな、橋本さんの作品を生み出すまでの「時間」を、私自身の制作に重ねつつ、尽きない会話の後、慶沢園のお庭をめぐるときにはお互い言葉少なに、異なる対象にレンズを向けて瞬間を切り取ったのでした。
橋本さんは真っ白く可憐な茶の花に子どもっぽい眼差しを落としていました。
私は、私に「時」とはこういうことだよ、と語りかけてくるような、まだまだしばらくはそこに在るであろう慶沢園四阿の使いこなされたテーブルと椅子を、夕陽さし始める中 心地よく触れていました。

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二科展NIKA103. 2018. 10/30~11/11(9:30am-5:00pm 入館4:30pmまで)
大阪私立美術館にて





by sumiasobihito | 2018-11-09 22:52

生きている墨の美しさ、生かされていることの有難さ。表現者としての記録


by sumiasobihito桃蹊
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