藝とは

日本では、書道 。
中国では書法 。韓国では書芸。一方でcalligraphy という「書」ですが、
近年、多種多様の書の表現方法がみられるようになり、
「これは「書」でしょうか?いえ、アートです。もしくは芸術です。」という言葉が聞かれるようになりました。

書は、万人の藝術、それは文字を知る人が、墨で文字を書くことが「書」表現であることに変わりはない書の定義であります。では、藝術とは?となります。
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「藝」という文字の成り立ちから考えてみます。
西洋のARTに、この文字を当てたのは明治時代の哲学者 西周です。
藝という文字に込めたアートの意味とはなんであったのか?を、想像するほどに、今耳にするアートとはニュアンスが異なるように感じるのです。
漢字という文字を共有する文化圏にあって、文字が意味を持ちその文字を記すという書、この「藝」とう文字はもともと、農業用語でした。

農夫が手に持った苗を地面に植え、それが天に昇って(下に雲の象形)やがて、収穫されていく様を象形にしたわけです。
西さんは、これを転じて
「アーテイストが何物かを人の心に種まき、その種が人の心の中で育ち、不可視の何物かと交信する、もしくは天に昇る」という意味を込めたと聴きます。

天に昇っていく何か、不可視の何者かと交信する何者かとは?本来誰もが自分の中に持っているもので、音楽も小説も詩も、演劇(能楽)も絵画も彫刻も、書も、その何者かと時に共鳴し歓びを感じ、時に反発して自身に問い詰めるような、
そんな、不確かなものに魅せられた人間が創り出すものは、自然界の有機のものに比べれば、とるに足らないものであることを知るが故に、止むことがないのではないかと、今日もまた独りの時を、過ごします。独り、というのはとても寂しいけれど、表現者にとって、自己を見つめるとても大切なことです。

ここ数日、色々な方とLiveを重ね、即興に近い制作を
Liveの中で共有して行い(共演)、
その魂のキャッチボールに歓びを感じつつ、
自分自身が身につけていないものは、出てこないことをあらためて感じ、まだまだ手持ちの駒(技術)が少ないことを知り、初心にかえって、こうして文字の研究や、臨書、写経に時間を割いています。まず人ありき、は言うまでもなく精進、精進。
次に期待を寄せるのは、言葉の無い、ただ響、鼓動の即興の中で物語を紡ぐことです。経験のない化学変化を満足いくものにしたいとおもっていますので、古典にかえって、自己を見つめ直しより、含みのある豊かな表現をしたいとおもう
満月の夜。


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by sumiasobihito | 2018-10-24 20:17 | Comments(0)

生きている墨の美しさ、生かされていることの有難さ。表現者としての記録


by sumiasobihito桃蹊
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