workshopより 人はまるで書の如く


人はまるで書のようです。

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アトリエワークショップにて


表現方法をお伝えするだけ、墨の面白さを語るだけのワークショップの中で、出逢った人の数だけ物語があることを興味深く感じます。

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ピースカード関西展 ワークショップにて
  はがきを描いていただきました。「書は、お習字は・・」と二の足を踏んでいらした方もそのうちに面白くなっていかれたようですね。

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文字を使わない表現 墨象、言葉や文字を描かなくても伝えたい何かは、きっと誰かの心に届くと思っています。


墨という千年以上残る有機のものが、不可思議な、偶然ではない十人十色の景色を見せてくれます。

私にとっては
人は書のようであります。
そう意識し、感じるようになったきっかけは、
そう語ってくださった方の言葉をにありますが、暫くはその確信を得られず、何がそう言わせるのかを疑問におもい自身に問いかけてきました。
結果、所謂「書は人なり」と「人は書なり」が自分の中で繋がったのでした。
書家という肩書きではない方達の書を拝見することは多く、その中には、書家以上に魅力を感じずにはいられない書(勿論面識の有無を問わず書家の書にも心動かされるものは多くあります)中で記憶に残るのは、そこに人としての生き方や
紡がれた物語がそこにあるからではないか?と確信するようになりました。そして私にとって
「人は書なり」となったのです。
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書の持つ魅力の一つに、物語があります。
ごあいさつ 個展にて
「今年もここに居ることの有難さ。
筆をもつと心はたいらになります。
墨があって紙があって筆があって 文字言葉があって よかった。
水があって風があって いろいろあっって
あなたに出逢えて
うれしいです。」


言葉と文字を有する人の、気持ちを伝える術としての書は
その線と墨色から無限に可能な表現方法であり、
私にとっては、文字は景色にみえてくるのです。
それはそこに物語を紡ぐからですが、
興味ふかいのは、人生と同じく一度きり、やり直しのきかない消せない線は、滅多に思うようにはまらないということでしょうか?

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心象の風景「天意」


書に限ったことではありませんが、否定から入るのではなく、まず肯定してから見つめ直すと、それは人も書も深くて難しいのですが、
けれど、人を愛おしく感じるようにどの線も、描かれていないところまで語ってくる物語を感じて
さらにいとおしくなります。


「墨あそび」ワークショップを何度も繰り返しながら、結果楽しませていただいているのは、自分やったりします。そこには発見、刺激の多いことは、出逢った人の数だけあります。

描いていらっしゃる姿や作品も好きですが、拝見しながらやはり自身の制作に取り組みたい・・・
筆持つ時間が僅かな時も、
私の身体の中に言葉や文字は常にあって、表現を描いています。
描きたい心象の風景は
いつも
あります。
文字や言葉が景色にみえてくるという、きっと不思議に訝られるのではないか?とおもう
私という現象は
今も意識のはざまで、明滅しているのです。

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ピースカード展関西2018 参加作品「明滅」

🌀🌀🌀🌀🌀🌀🌀🌀🌀

そして

今一度高村光太郎の言葉を記して

自戒とします。


『書について』より
「書を究めるということは造形意識を養うことであり、この世の造形美に眼を開くことである。書が分かれば、絵画も彫刻も建築も分かるはずであり、文章の構成、生活の機構にもおのずから通じて来なければならない。
書だけわかって他のものはわからないというのは分かり方が浅いに他なるまい。
書がその人となりを語るということも、その人の人としての分かり方が書に反映するからであろう。」と。



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by sumiasobihito | 2018-10-05 21:52 | Comments(0)

生きている墨の美しさ、生かされていることの有難さ。表現者としての記録


by sumiasobihito桃蹊
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