法雨

白隠禅師座禅和讃に
「衆生本来仏なり 水と氷の如くにて
水をはなれて氷なく 衆生の外に仏なし・・・
此の身即ち佛なり」とあり
若き頃通った円覚寺居士林で 幾度となく、般若心経と同じく唱えたものです。
「衆生 本来 佛 なり」
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佛の弟子となる。
佛への曖昧な自分自身の、意思表明の形を示すご縁を頂き、
奈良に生きるのやから奈良東大寺で受戒させていただこう、とおもったのでした。
何にも考えずに円覚寺に参りましたのは18歳の夏。あれから数え還暦の今年良き巡り合わせのご縁をいただいとと、感じ入るばかりです。

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戒を受すること。
その意味は
「到達すること、身につけること」とあり、身につけることを「具足」と言いい
出家のための戒律条項として、比丘(比丘尼)は具足戒を受持せねばならず
通常比丘は250戒、比丘尼は348戒と、知りました。

日本で本格的な制度が整うのは鑑真和上の来朝以降、754年(天平勝宝6年)4月東大寺大仏殿前の仮設戒壇で、聖武天皇ら440名の方々がお受けになったのが始まりで、翌年戒壇院が完成し受戒が正式に開始されたとのことです。

結縁は、ゆかり ちなみの意味で、特に仏法との関係を言うわけです。
広く一般在家の信者を対象として華厳の教えに従って、御本尊毘盧遮那仏との仏縁を結ぶ初歩的な作法といえる受戒に臨ませて頂きました。

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6月6日、鑑真和上御縁忌・結縁受戒
雨になりました。人の心とは不思議なものです。
雨でよかった、とおもうほど
記憶に残るであろう慈雨の
有難い日になりました。

聴く傘に落ちる雨音を
こんな気持ちで聴いたことが
かつてあったか否か。

それは、思いもかけず、正受者として所作法頂くことに少し尻込みしましたが
有難いことでありました。
わたしは戒師様より諸作法をいただき、おそらく二度とないであろう場を頂き、結縁頂く中、美しい読経に包まれたのでした。
法の聲、音聲とでも言ったらよいのか・・・・読経のそれは
今も体じゅうを包んでいます。
言葉は虚しいこともわかっていますが、記しておきたい出来事なのです。

塗香の香、音聲、
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あの空間の光を忘れることは決してありません。

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by sumiasobihito | 2018-06-14 22:37 | Comments(0)

生きている墨の美しさ、生かされていることの有難さ。表現者としての記録


by sumiasobihito桃蹊
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