生かすか、殺すか? 屏風の折れ部分
2018年 02月 18日
一隻六扇(六曲)物語
紙を探しに。
何故、六曲(屏風)なのか、という問題提示を自己に課し、(フラットな平面ではない構図)それは敢えて、折れ曲げる屏風という形に描く効果を考えつつ、日本画の屏風をいくつも観に歩いたのは半年前でした。
構想にかける時間が最も多く、言うに及ばず迷いどころであります。
そこにサイズと紙質と納得のいく紙を、相談しに行ってきました。
構図は一扇づつ張り込む形ではなく、広げれば一枚の図になるものを、屏風という形式に当てはめ六曲させます。
故に、観ていただく状態も折れ曲げた屏風の形式になります。さらに本来屏風は室内で、座って見るものであるというところからも、視点を考えての構図を選びました。
折れ曲がって立っている屏風という形式が前提ですから、無論その効果を最大限に活かすのが与えていただいた自己表現の場な訳です。
単なる景色であれば、額装、又はパネルでいいわけです。
問題は、この写真の部分、屏風の形態上折れる部分に巻き込むための余裕が紙には必要になります。
およそ、3cm×両サイド。
それは良いとして、この縦の空間のラインをどう活かすか?が問題なわけです。
わずかな狭間ですが、生かすか殺すか?、と言った意味合いを持つ屏風の持つ面白さです。二曲は経験がありますが、六曲は初めての経験です。
二曲は手前に出る山はありません、つなぎ目の狭間も無い遠近だけの構図ですが、六曲は遠く近く、また、遠くと繰り返します。
有難い佳きご縁をいただきました。
「頼まれごとは、試されごと」と、そう、心底感じています。
これから、正念場の春浅き日、独りであることをたのしみ、やがて歓びとなりますように、また精進します。