私の自由時間 如月の京都にて

普遍は、時を渡る。
作品はもう作者を離れていて、独り歩きをしています。
作品に出逢うとき自他を問わず
本当のところは、作ったものにしかわからない。制作者でさえわかっていないかもしれない。そう思いながら一旦作者を離れた作品に逢うことは胸が踊ります。
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なぜ橋本さんの作品に幾度となく逢いたいと感じているのかとといえば、きっとそれは二つの理由。

哲学というよりも宗教的な匂いを感じたこと。
もう一つは、「ただ 在る」という形(私の場合は線ですが)どのようにシンプルにしかし深く表現するかという普遍のものを求めていらっしゃるような意識の匂い。シンプルさを求めていくとピュアになる。といったとことでしょうか?
『ものは原子の濃淡でしかない。
一元的な世界こそが真理である』という言葉がいつも心の何処かにあって、


不可視は不可思議、そんな動物的な匂いのようなものに敏感に反応するのは、若い頃から変わらない感覚のような気がします
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今回の橋本さんの個展には娘と伺いました。
1枚目は私が、2枚目は娘がとらえた写真です。娘が印象深いといったこの作品の足の組み方が好き、と言いながら彼女は
「重いのかしら?無重力で浮いているみたい」と呟いていました。


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掬い取ってくださる菩薩のように感じた私。

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「受け止めてくれる感じが 好き」と、娘。
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彼女がお気に入りの額


しばらくの間わたし達は何も話すことなく暖かな座敷に座って、坪庭越しに眺めていた孤高の一体の傍に活けられた赤い花の在る 空間。
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花観(娘)が出逢ったkanon。彼女の名をカノン(はなみですが)今時の洒落た読みかたをする方も多いわけです。それも嫌いではないようで、そんなKanon 繋がりから
二十歳の祝いのペンダントkanonを大切にしている娘はペンダントを胸に橋本さんにお逢いしたいと言うわけで祇園小西さんで待ち合わせをしたのでした。

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会場は暖かな暖がとってあって、一部屋一部屋が異なる温かさの不思議な温度差を感じる暖かさ。土間から上がって障子を引けばすぐ
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この子が。


奥の坪庭の向こう側には
暖房のない中に一体
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その間の二間には
「自分は此処です」と凝視せずにはいられない一体一体の作品が語りかけてくるのでした。
中でも今回私は「Kanon 冬」に一番心惹かれたのでした。

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夏のあじろとは趣を変えながらも小西さんの空間は、あの日と同じ宝箱を掌に抱えているような、ワクワクとした幸せがありました。思いがけない再会も頂きました。

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時間を少し遡ってこちらに伺う前に
私は東福寺近く蕎麦屋澤正さんにいました。
橋本さんのご子息の陶芸に再会するためです。何より私は蕎麦好きなことも幸いしていましたね。
一言では説明できない知成さんの楽の景色です。
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澤正さん、美味しいお蕎麦をいただきました。大津絵の作家さんの絵も興味深かったです。気さくなご主人のご厚意にも感謝して、名残惜しさもありつつ祇園小西さんに向かいました。
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冬京都、如月の再会は、凛とした厳しさの中で、なぜかしら心と体をやんわり緩めてくれる時間を過ごすことができました。次にお逢いするのが待ち遠しいような、春待つ心持ちです。
最後に橋本さんに
「制作はどう?」とたずねられ
「なかなか描く気になれなくて」と伝えると
「まだ描くな、と言うことやね」と小さく笑っていらした。


一隻六扇(六曲)屏風・・・・現実・・・







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by sumiasobihito | 2018-02-07 11:14 | Comments(0)

生きている墨の美しさ、生かされていることの有難さ。表現者としての記録


by sumiasobihito桃蹊
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