二十歳に恋した日々 small shoot 40 years

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疑いもなく、あたりまえの日常の中の1日、の 今日は注連縄や、お札などお焚き上げあげしてくださる大とんどの日。
春日大社境内飛火野に今年も参りました。(奈良に住み始めた頃は、飛火野ではなかったけれど)
「とんど」という言葉は久しいけれど、生まれ育った地でそう言っていたかどうか?覚えてはいないほど、わたしは奈良の住人になりました。

家には沢山の歳神様を迎えるために根付きの松や注連縄、願掛けしたお札などがあって、古くなったからと言ってポリ袋にポイ、とはいかないわけです。
そんな、目に見えはしないけれど粗末にはできない、という観念をもの心ついた頃からから身につけさせてくれた故郷と両親に感謝しています。
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幼い頃、七夕の笹飾りは川に流す風習もありましたけれど、今思えば、あれは川を色紙の色で汚染していたんやろうなあ、環境に悪いですよね、(きっとどこの家からも流された笹飾りを近所の方が回収してくださっていたのね)
だけど、だから、でもね、川が、
天の川が、身近ないつもの散歩道の川に通じていると思えた 幼い想像の世界を育んでくれた故郷に感謝しているんです。

わたしは田んぼの細く小さな川の流れを、春には春に、秋には秋に、いつまででも眺めて遊んで飽きない子でした。

とんどもまた、水の流れと同じように観ていて飽くことのない炎の舞のようで、ワクワクします。

お札や根付き門松注連縄を粗末にできない、という目に見えない何かが観ているという幼い頃に身染み付いた畏敬の念からお焚き上げをしていただいて、なんだかスッキリ爽やかに、佳い事をしてきたような自己満足にも有り難さを感じているわけです。

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奈良に足運び住み暮らし40年ほど経って感じるのは、さすが、古代の地、神様仏様とが混在しながら神社仏閣が常にひらかれていて、いつでも拝観料を納めることなく神社仏閣の敷地に足を運ぶことが出来ること、もちろん、大切な場所に赴くには奉納、お布施を納めせねばなりません。
そんな奈良で生かされて、感じるものを描くことが出来るのは、この土地の深くて未だ掴みようのない何かがそうさせてくれているのでしょうか?この地で自己表現出来る歓びを、可視、不可視の至る所から感じることができます。

水のように火のように、飽くことがないですね。
きっとこれからも頂ける時間の中で、時流にとらわれることなく自分探しの時を書と
ともに歩む地に飽きることない今日もその小さな一日でした。


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二十歳に恋した樹の下で、数え還暦を迎えます。
いつまででも奈良を感じている、あの出逢った頃と変わらない、
時折雪舞う睦月飛火野・・・・
有り難う


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by sumiasobihito | 2018-01-28 00:31 | Comments(0)

生きている墨の美しさ、生かされていることの有難さ。表現者としての記録


by sumiasobihito桃蹊
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