鏡板

御祈祷始式の日、森川杜園の鏡板の全貌を光の当たる春日大社直会殿にて拝見することができました。
鏡板という言葉を意識するようになったのは、ご縁あって学び始めた狂言との出逢いからになります。
遡ってずいぶん以前から、ならまちに鏡板が存在することは聞き知っていましたが、うちに鏡板を描いて頂くことになった時に、鏡板について学ぶことになりました。何も知らないというのは恐ろしいことやとも知ったわけですが、深く認識するようになりました。
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森川杜園についても、奈良人形「福の神」を拝見した記憶がある程度、絵師、奈良人形師、狂言師という三職に生きた人物と知ったのはつい最近のことです。
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文久2年(1862年)絵の具はかなり落ちても墨色はしっかりと残っています。
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鏡板とは能舞台の正面奥の古い松が描かれた板のことですが、狂言の舞台に立たせて頂くようになってから、間近に拝見することになり能舞台の奥深さを知るようになりました。
狂言の舞台は神様にむかって奉納しているということ、神様は松に降りて来られますから、神様は御前にいらっしゃる訳で、お尻を向けて失礼のないように背にあるのは鏡であり、故に鏡板というのだと知りました。そのように神様のいらっしゃる場所に足を踏み入れるには足袋を履かねばなりません。また描かれている松は老松と呼ばれるもので、春日大社一の鳥居の南側にある影向の松がその松の映しと言われています。
春日若宮おん祭りには、松の下式にて神事として奉納が行われます。
檜の板の鏡板は舞台の音を響かせる役目もあるそうです。

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そんな大変なものが、我が家に舞い降りたのは2010年のことです。
膠の乾き具合を確かめながら二ヶ月かけて描いてくださいました。幾度もどうさをひいたあと、骨書(下書き)は墨で。
高価な絵の具も何度も塗り重ねて深みを出し、松葉は一本一本書きいいれます。
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鏡板を描かれる際に、過去にも何度か国宝の復元修復も含めて鏡板を描いてこられた先生は作家としてよりも、本来伝わる影向の松を描こうと決められました。

松の根元は中心に持ってくる。:面をつけた演じ手の目安になるように。
二十四の塊(松の塊) :二十四の神様が降りてこられたと伝えられます。
「久」という文字になる構図 :幾久しく

そして私もまた、いつも鏡板と思っておりますが、鏡板の間にしてしまうと、神様のいらっしゃる場所として、足袋を履いて上がる場所のみに使うことになりますから、日常的には「老松」の間としました。

鏡板とは不思議です。森川杜園は落款を書き入れていますが、先生はあえて表には書かず板を外さなくては見えない裏側に落款と願主の名を書いてくださいました。それは画家としてではなく、おそらく職人、としての覚悟では無いかと感じています。
そして、森川杜園の鏡板が描かれた文久2年からしばらくして、何年かぶりに日の目を見たように、
かつて二ヶ月かけて描かれる中で先生は、「200年、その先に誰がこの仕事をしたのか?の評価を問いたい」と、仰っていたことを今日あらためて思い出したのでした。
大切に語り継ぎ守っていきたい鏡板です。





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by sumiasobihito | 2018-01-07 22:23 | Comments(0)

生きている墨の美しさ、生かされていることの有難さ。表現者としての記録


by sumiasobihito桃蹊
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