記憶の螺旋

記憶の螺旋のDNAが、映し鏡のように重なります。

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螺旋は重なり、重なって、ゾクッとするほど遠くで静かに笑っていました。


わたしはいったい何を観て来たのだろう?
不可視の世界と現実と。記憶の螺旋が渦巻く夜。わたしは錯覚の中にいるに違いありません。墨の香りは心地よく、硯の海にまったりと流れ落ちます。すぐにも水を注いで密度の濃淡を作り描きたくなる気持ちを制して、海を満たしていきます。

實の記憶(實、部分。方形の箱に彫刻が一面に施されている象形)

自然界の記憶は正直ですが、人の記憶ほど当てにならないものもなく、創り出すものもまた、螺旋の記憶の何処かに置き忘れているようなもののように私には思われてなりません。
私は、自然の「美」に惹かれ、描かずにはいられない。心象の風景は常に自然の中にあります。 (美とは、ゾクゾクするもの) 表現せずにはいられないのが表現者の「業」ならば、
藝術の価値は、どれだけ世の中に貢献しているかでは ない
気がします。

藝術という不可視で不可思議な何かと交信する作家の想いこそが面白いのであって、それは作家だけのものだからです。

作家は目に見えないものと交信し得た「形」に、真摯に向き合わねばなりません。
それは、救いであり、同時に苦しみでもあるわけですが、現実の苦しみよりかは不可視の世界の苦しみの方がいくらか、やさしい気もします。

「書」という文字を描かねばならない制約された表現だけでなく、
「墨象」という抽象表現がある事も、わたしにとっては救いです。

そうやって、そんな風に救われながら、凸凹のわたしが刻刻(ギザギザ)になって、ようやく

まあるくなっていく、ような気がします。








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by sumiasobihito | 2017-12-13 01:21 | Comments(0)

生きている墨の美しさ、生かされていることの有難さ。表現者としての記録


by sumiasobihito桃蹊
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