懐かしいテーブルで
私は時間軸と空間を想っていました。わたしの自由時間、今日は久しぶりの京都。探し物のヒントが得られるかどうか?なんてどうでもいいつもりで、のんびり散策をしようと思ったけれど、頭の中に今ずっと張り付いている「時間と空間の景色」を、懐かしい場所から、再発見できるんやないかな?と、
進々堂の変わらない黒田辰秋のテーブルでどっかり、次の場所を考えていました。
ご案内いただいた、今さっきまで、府立文化芸術会館で観てきたばかりの墨の表現は、「時間と空間の景色」を異なる角度から描いていましたが、わたしはそれを一つの世界にまとめる表現を模索しているのでした。古典を重視した京大OB書作展と京都現代水墨選抜展の墨絵の世界。どちらも平面の中に、文学やメッセージを形式は異なりますが描いていらっしゃいました。
そして、その感覚の確かさを感じながら、やはり、東山の麓の日本画家を訪ねようと思いました。日本画の屏風が観たくなったのです。
白沙村荘秋季特別展 「関雪と印象」
私は二人の屏風を観たいと思いました。屏風という表現方法は右から左へ曲面を変えて描かれているのは周知の通りです。
「書の定義は文字を墨で書く」ことにあります。文字は目で追って意味を考えます。ですから、時間の領域にあるわけですが、今日拝見したような日本画の屏風は、平面の大画面でも良いものをあえて折り曲げ、目で追う時間をより一層緩やかに作られているように感じました。余白を十分にとる日本画の六曲めや十二曲めは、幽かな線一本の事さへありました。書という、言の葉を読んでいただくものではありますが、そこを含む心象の景色を想像して、感じるものが描けないか?というのが私の目指すところであります。
白沙村荘の静けさに比べれば、紅葉の季節を過ぎたものの観光客の多い慈照寺銀閣にも久し振りに足を進めました。残るべき普遍の形、受け継がれるものが雑多な賑わいの中に確かにあることを感じ、描きたいものがようやく手元に描けるきっかけを頂いた、私の自由時間の京都歩きでした。