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普遍という、想いをご造替六曲屏風に描くにあたり

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変わらないもの、普遍のもの、つまりは 変わることなく生き続け、普く人に当てはまるもの、というご依頼の六曲の屏風を描きます。お話をいただいたのは青葉若葉の季節5月のことでした。「氷室神社しだれ桜花咲寄進の集い」にて、「希望 全ての花 咲かせ給へ」を描いた直後のことでした。
そのことを、有り難く受け止めて、時間をかけて描き切ろうと決意してから、何をどのように描くかを、思いついては書き留め、書き留めしておりますが、これというはっきりとした言葉も心象の景色も閃かないまま、夏が行き、秋が深まる頃、大宮宮司とお話しする機会を得まして、つかめなかった糸の先が観えたように感じたのでした。

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何を描くのか?宮司のお言葉から自ずと観えてきました。
宮司はおっしゃいました。
「変わらないもの、普遍のもの。を描いて欲しい、それは難しいことではなく、シンプルであること。誰にでも共有できる、いつの時代にあっても変わらないもの、みんなのもののような・・・」それはとても深いと思ったのでした。

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それは、真実であり、真理ともいえましょう。かつて円覚寺の老師は私が学生の頃学生接心で私達に
『真実を求めて生きよ』と、提唱されました。
宇宙の真理に目覚めて、何ら執着なく淡々と受け入れていける人などは、御釈迦様くらいでしょうけれども、今、あらためて老師の言葉を思い出しているのでした。
多分、おそらく、きっと私は今
日々錯覚の中にいるのではないか?と思うようになりました。墨磨っていると、淡いものがどんどん密になって濃くなっていきます。
ものは全て、原子の濃淡であると、知ったのは、大切な人を次々に亡くして行った時で

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ものは 原子の 濃淡でしかない。
一元的な世界こそが真理である
再び筆を持ち、生きている墨の美しさ、生かされている自分をこの濃淡の中に見つけ救われた時のことでした。
書の制作はこのようにいつも、自分探しをしているような想いがします。
さて「変わらないものとは、みんなのものとは?」探し始めています。多くの人に愛される飛火野は、今日も美しく、

春日野、東の光、暁、藤や草の匂い、鹿の鳴く聲、水の音。視覚で描く書から記憶の深いところに入り込むのはとても難しいことですが、目指すところは、常に深い言い表せないところと、想っています。
「急ぎませんから」と、仰っていただきましたが、今日は木蓮の固い蕾を目にし、時の移ろいの速さを感じながら、即今只今にアンテナを張って制作に取り組みたいと絵馬を奉納いたしました。

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by sumiasobihito | 2017-12-06 19:13

生きている墨の美しさ、生かされていることの有難さ。表現者としての記録


by sumiasobihito桃蹊
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