
説明のつかない私にしか感じることのできない歓びは、またさらに深く進めたくなる芸術の神様との対話の時です。
どんなに入念に段取りをしても思いもよらないことは起こってしまうのがライブの怖いところであり、そこを超えたところにライブの醍醐味があることを感じた、よみうりホールでの揮毫の時のことを記しておきたいと思います。(ブログの前の日付に、『忠』の文字を描くまでは記しました)

太鼓の高野さんとは初めての顔合わせで、申し合わせから実際に打ち合わせに入りました。今回のシンポジウムの演出をされた保山さん(映像作家)ご自身の撮影取材を通して深めていかれた天忠組への想いを、オープニングでどう表現するかについて、その意図を、太鼓の高野さん、朗読の大垣さんと互いに理解することは難しくはなかったように思います。なぜなら、とてもシンプルなメッセージだったからです。
私の場合は、最初から、「『忠』その一文字を描いて下さい」というご依頼でしたから、史実を含めいろいろなことを理解しなければ描けないと思ったのでした。

本番の緞帳が上がった瞬間から私は何もも考えることなく、太鼓の鼓動に導かれるように、観えていない大画面の映像を肌で感じることができたからです。
実は、高野さんは、リハーサルでは、大垣さんの朗読と同じように、書の時も控えめにたたいていらっしゃいました。私はそれはちょっと違うのではないかと思い、高野さんに次のことをお願いしてみました。
最初に淡墨で描く雲は龍が舞い降りるように叩いてほしいこと
描いている間は、映像を感じながら自由に自分の鼓動で叩いて欲しいこと


筆に墨を含ませて間もなく雲を描き始めた時、雲の収筆を振り上げた筆から墨が強いライトに当たってキラキラと静かに光ってスローモーションを観ているかのように、美しく私に降り注がれました。その美しい墨の雫に心奪われた次の瞬間、目を移した先で、淡墨を入れた器が一瞬宙に上がって落ちたかと思うと、墨をこぼさんばかりにゆらゆらと揺れています。私は凍りつきそうになりました。
「まずい」


ここから先はあまり記憶になく、太鼓の鼓動と感じるままに観ることの出来ない無音の映像からの風を感じ最後に桃蹊の落款と印を記して終わりました。

引き続いて大垣知哉さんの朗読。

「書を書かれた方ですよね?こんなに小さな人やったんですか!」と声をかけていただき、それは、それは嬉しいことでありました。このような機会をいただいたことに心から感謝申し上げますとともに、ご尽力くださった多くの方に厚く御礼申し上げます。
揮毫直後のインタヴューの折に「今の気持ちは?」問われてお答えした
「やっと奈良に帰れます」のそのように、奈良が待っていてくれました。
この時の経験から私はコラボの意味を体で感じ取ることができるようになり、のちに奈良で行うチェロやパーカッション、ピアノとのライブでのコラボレーションが、新しい可能性を見出すきっかけになる予感がして、楽しみになっていったのでした。
動画は、こちらから
https://m.youtube.com/watch?v=N0dK3hIABIw