心象を描く 「忠」の場合


シンポジウム「天中組」in東京で「忠」の文字を描くというお話を頂いたのは、氷室神社しだれ桜花咲寄進の集いの時のことでした。しかし、この時は漠然としたもので実際に現実のことになるとは、思っていませんでした。
そのお話が現実になった時、「天忠組」の史実を知らなくては、描けないと思いました
私にとって の「書」とは
救いであり、祈りなのです

その祈りとは
祈っても、祈っても結果が得られなくてもやはり胸に手をおき
また祈る、その瞬間の心のあり方と、そこからどう生きるか、一所懸命な生き方を見出すことではないかと思うのですですから私は「書」を書くではなく、心象(祈り)の風景の対象して、描くと呼んでいます。
文字を書くけれども、文字から感じる観えない世界を表現したいと考えています。
そこにたどり着くまで、幾度となく形も言葉もない何者かと交信するような刹那の時間こそが、私にとって救いとなり、祈りなのです

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シンポジウム会場で「忠」を描くということは、

天忠組(天誅組)の名のもとにを、主軸にして、かつて新しい時代を切り拓くことに命をかけた若き志士たちの熱い想いを、色々な立場の方々が語り、伝える、その場所に掲げられる「忠」の文字を描くということに他ならないのでした。
このシンポジウムの演出をされた保山さんは、そもそも映像作家であり、私がこのお話を頂いた時には、既に春浅い頃から撮影を始められており、季節が移って彩りを変える10月までの遠い道のりであったに違いありません。
シンポジウムの意味を広く理解してもらい、興味を抱いていただくことで、この史実を後世に伝えるために、個人の想いを殺し伝えるという意識の、核にあったのは「忠」の文字であることを、交わす会話の中でジワジワと知ることになりました。

ただ単に「忠」の文字がその場所にあるだけならば、特にライブで描かなくても良いのであれば、それは拡大した印刷物でも良いわけです。そうではなく、あの場所で描くという意味を私はひたすら考えました。
考えましたが、結局答えを得られないまま、頂いた書物を紐解き、いつものように縮尺の設計図を作るべく文字を調べ始めました。
一向に景色が観えてこないまま、心象の風景を求め描く紙を探し続けていました。


描く紙について
理想を言えば、どんな作品も、描くものはいつでも自分の自己ベストでありたい、つまりは残したいと思える作品づくりを目指したいと思っています。よって、描いてすぐに掲げる書という事、パフォーマンスという事、いづれにおいても部屋で独りで時間をかけて描くのと変わりなくありたいと思うのです。意味なく必要以上に墨を飛び散らかしたり、立てることによって墨が流れたりする事は出来る限り避けたいと考えます。描いている姿ではなく、書そのものが全てだと思っています。


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墨を素早くよく吸ってくれる紙、滲みの出る紙、丈夫で有る事。このような条件を重ねると紙の役割が重要であることを依頼している書道具店主は、長年のお付き合いから察してくださり店主の納得のいく紙を見つけるのに色々手を尽くしてくださり三ヶ月も費やしてくださいました。実は、私は見つからなければ全紙を継いでもいいと思っていたのでしたが、店主は、それはそれでご自身の納得がいかないのでした。

とうとう十二尺手漉きの三層紙を探してくださいました。

「有るところには、有るもんや」と、店主はその苦労の多くは語らず、裏打ちに入ってくださいました。(会場では描いてすぐに掲げるため、予め軸に仕立てておきます。)

文字の聲を聴く
(心象の景色を描くという事は、文字の聲を聴く事ではないかと思っています。)


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書にとって一番大切なことは、伝える、ということです。
古典に手紙が多く残っていることがそれをよく物語っています。
一つの文字でも、背景は様々、異なる背景に異なるメッセージがあります。漢字が音だけでなく意味を持っているからです。

今回描く「忠」は、天忠組の「忠」なのです。その聲を聴くために奥大和に行きたいと思いました。行けば必ずこの机上の空論のような見えてこないジレンマから解放されると思っていました。いつも、飛火野や自然の中で感じるように、その土地の空気に触れ、風を感じることは私にとってとても重要なのです。
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実際にお話を聴きながらいく道々で、今も香華が手向けられ、お茶など供えられている景色は、深く心に刻まれたのでした。

お経を唱えました。唱えながらあちらこちらに行ったり来たりする自分の心と向き合う刹那の狭間にたゆたふと揺れる想いは言葉に表すことができません。
私の読経は届いただろうか?
私は心をそこに置くことはできただろうか?
この地の空気を感じ、言の葉に置き換える準備はできただろうか?
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勝栗もお供えしたかったのですが、手に入らず、鰹節と餅と花をお供えして焼香し終えると、振り返った足元の柔らかな苔の上に、銀杏の葉が一枚。まるで生き急ぐかのように枝から離れてそっとそこに有ることに気づきました。ふと、私は描くべきものの何かを聴いたように思いました。
私が想像していた心象の風景はもっと若い生々しいくらいの力かと思いきや、清々しくも見上げた暮れゆく空に似た穏やかなものでした。

「覚悟はよいか?」と、自問自答しつつ真っ直ぐに描ききりたいという想いが湧いてきたのでした。

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「忠」を描くことを考えながら、頂いた書物を今一度読み返していた時に不意にある想いを言葉にしたくなり、慌てて書き留めたのでした。

夢や希望をいだいても
時に色を失うような真っ暗な闇に
とり残されることがある
やがて前に進むしかないと
空を見上げても
決心して見つめるその空に
一点の曇りもない時など
果たしてどれほどあるだろうか
その行く先すらわからない
流れる雲に
ゆるぎない真っ直ぐな心を
重ね描きたいと
おもった

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見上げる空は、ただ志士たちだけでなく、見送る人、家族、村人、時を超えて香華を手向ける大和の人々、このシンポジウムのために奔走した人、そんな方たち全ての空(天)を感じていただけるように、雲を描くことで表現することにしました。

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飛火野でリハーサルをした日
当日描く時まで精進潔斎して臨もうと決めたのでした。
そして10月13日「天忠組シンポジウムin東京ー奥大和に咲いた維新の桜 志に散った天忠組ー
よみうりホールにて、「忠」の文字を太鼓の響きの中、奥大和の映像とともに描く日を迎えました
この日にたどり着くまでには、本当に多くの方の温かなお力を頂戴いたしました。
心から感謝申し上げます

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by sumiasobihito | 2017-10-01 15:00 | Comments(0)

生きている墨の美しさ、生かされていることの有難さ。表現者としての記録


by sumiasobihito桃蹊
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