春日大社境内 飛火野にて「墨の煌めき」を描いた日のこと
2014年 10月 31日

不思議な保山耕一さんとのご縁の始まりでもあり、それをを結びつけたのは一体なんであったのでしょうか?出逢いはその一昨年にありました。
なにかの偶然ではないにせよ、のちに知ることになる素晴らしいキャリアをお持ちのカメラマン保山耕一さんの、今思い返しても、気まぐれか、はたまた遠いどなたかがシナリオでも書いているのではないか?と感じるばかりの出来事でした。
出逢ったばかりの人達のことを何にも知らなかったからこそ、お互い素直に導かれるように物事は進み、想像もしていなかった立派な映像作品が出来上がり、簡単なことではありませんでしたが、やがて映像詩「かすがの煌めき」へと繋がっていきました。

この日、天気予報は午後から雨。
風はなく、この煌めきの場所は南京ハゼの木の葉が真っ赤に色づき、時折風に葉を散らしていました。
飛火野で筆を持つ何度目かの書。何故だかわたしは白足袋を履こうと思ったのでした。そう思ったあの時以来わたしは白足袋を履くようになりました。
この場所は何故かいつも素直な気持ちで解放されます。墨を磨る硯の海に飛火野の空。修学旅行生たちがいたような?けれど、わたしはただ真っ白な紙の上で静かに飛火野と一つになっていました。

意識することなく手を合わせていました。
この春日大社境内をしばしお借りいたします。と。

暁方の飛火野のある一枚の写真(保山さんのものでした)を観てわたしは「煌」と決めました。映像を撮られた保山耕一さんは、別の日に飛火野三部作とも思っている、イメージの文字「實生」と「木もれ陽」原案「煌」、そしてもう一つ「前略飛火野さま」を映像に加えてくださいました。



「木もれ陽」は、鹿が食む草の上に蟻が通り過ぎていく。
「前略飛火野さま」は暮れゆく景色。

今にも降り出しそうな空模様
木々たちは揺れながら煌めいていました。
不意に風が低く通り過ぎていったかと思うと
描き終えた作品の上に、堪え切れなくなった雨がバラバラと音を立てて落ちて来ました。飛ばされた作品を鹿たちが此処ぞとばかりに、食べようとします。けれどもわたしは必死に紙が食べられないように奮闘している小栗さんの姿が、可愛い少女のように楽しく映ったのでした。
描き終えた作品は、雨に打たれ土になろうと、鹿に食べられ糞になり土に帰ろうと、それもいいなあ、と思っていた私です。

私たちはまるで子どものように それぞれの想い抱く世界が煌めいていることに無邪気にはしゃいでいた時間やった気がします。
まだ撮りたい何かがあったのでしょうね、私だけそこを離れましたが、心はしばらくあの飛火野にありました。
それからさらにインタビュー、、墨を磨る音、筆が走る音や絵が加えられて、あれよあれよと、わたしが想像すらしなかった、立派な映像作品になったのでした。個展のための映像にはもったいないものであったことは、その後個展の会場での反響が物語っています。



映像から映像詩にその内容を深め
「神様は撮れなくとも、その気配を撮れるやろう…、君なら」という岡本元春日大社権宮司の言葉を生きる支えとして
映像詩「かすがの煌めき」が制作されることになります。

by sumiasobihito
| 2014-10-31 14:00